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和歌

2011年6月 5日 (日)

空しさ

ブログ開始以来、初めて雑感について述べる。
最近、このブログは低調である。
現在のこのブログの目的は、自作和歌の発表である。
和歌は、日本語の巧みさとか美しさとか、そういうものを表現するためのものである。
美しい日本語、巧みな日本語に触れて、いい気分をもたらすことが目的である。
4月17日から始めて、まだ2ヶ月足らず。作品は10個。早くも「あき(秋/飽き)」の訪れを感じる。
まだ早い。夏の歌は少ない。夏は、歌に向かない季節なのか?

今までの作品を振り返る。作品だけでなく、ブログコメントについて振り返ってみる。

  1. 若葉萌ゆ

    最初の作品である。コメントに"詩"から"和歌"に転向した理由が書かれている。「"詩"というジャンルだと、広過ぎて日本語の規範からどんどん逸脱していってしまい、本来の目的が果たせないのではないかという危惧がある。"和歌"に限定することにより、日本語の規範による縛りが強くなり、逸脱が防止できると考えた訳である。」
    ここでいう「本来の目的」とは、「美しい日本語の世界を堪能すること」である。"詩"だと逸脱が多過ぎる。"和歌"なら逸脱が防止できるだろうと、この時点では考えていた節がある。甘かった。私の精神は、"和歌"に対しても逸脱を持ち込んでしまった。それ故、興味が薄れてしまったのであった。この作品は、最初の頃の作品なので、まだ逸脱が少ない。「番いの月」が逸脱ポイントである。これは、村上春樹の小節「1Q84」に出てきた「2つの月」のことである。自らを「1Q84」の世界に置いて詠んだもの。

  2. 原発事故

    表題からして既に逸脱している。和歌が流行っていた時代と今の時代とは背景が違うので、扱う題材が変化するのは致し方ない。古今和歌集を見ると、他の首の表現の流用が多い。表現の流用は和歌制作の常套手段と考え、なじみのある百人一首からいろいろな表現を抜いてきて流用することにしたのであった。そして、題材のみにオリジナリティを見出していくという手法を当面採用することにした。

  3. メタなツッコミ

    私の息子は、この「メタなツッコミ」という表現が気に入ったようである。そもそも「メタなツッコミ」は、和歌の世界からは対極に位置するような日本語群である。「メタなツッコミ」をネタとして和歌の世界に持ち込むこと自体に無理があるような気がする。でも、そんなことは最初からわかっていたのだ。無理があるから敢えてやっているのだ。無理がなければ、例えば「桜の開花」等の話題であれば、私が書くまでもないのだ。紀友則や在原業平の作品を愛でればよいのだ。

  4. はる

    とにかく地口を使いたい、使いたいの一心で捻り出した歌。打倒藤原実方なのであった。「かくとだに…」級の地口使いになりたい。そこまでは及ばなくても藤原兼輔並のを作りたい。「まだまだ甘い」と言っているとおり、「春」と「貼る」のベタな地口で、まだまだ青いと言わざるを得ない。

  5. 赤毛のアン

    外国文学と和歌を繋げるという使命を帯びた歌。自分は、自然を愛でる感受性が摩滅してしまった人間だが、昔の人間は、洋の東西を問わず、自然に対する豊かな感受性を持っていたのではないか。松に対して抱く感情に藤原興風との共通点を感じ、そういうメタな部分に惹かれてつくった歌。もはやメタ視線の中でしか生きられない、悲しい人間。

  6. ツイッター

    めずらしく自分の心情の吐露に徹している。しかし、内容が貧弱で読むに堪えない。

  7. 春霞

    いわゆる「縁語」。まず「春霞」というお題があって、そこから連想されるものを使って歌を作るというもの。内容は相変わらず。

  8. らむ

    いわゆる地口シリーズだが、今回は助動詞「らむ」を使うという使命が先にあって、それに合わせて「らむ」をもつ名詞を集めて作った。「らむ」の5連鎖。悦に入りたいところだが、ふりかえるとなぜか空しい。

  9. IO

    「庵(いほ)」と見せ掛けて、実は木星の衛星のイオであると。しかもその後に日本の神話の神名が登場することで、「木星の衛星のイオ」と気づかれにくくしている。だんだん技巧的になってきたものの、本来の目的である「美しい日本語の世界を堪能すること」からはどんどん逸脱している感が否めない。

  10. 西武多摩湖線

    元歌は言わずもがなの万葉集「あかねさす紫野行き標野行き~」。これを作った後、あき(飽き/秋)が来てしまった。古今和歌集で夏の歌を探していたがピンと来るものがなく、「なんか つまんないな~」という思いが去来してしまったのであった。丁度 百人一首を覚えるときに40番台や70番台くらいで「なんか つまんないな~」という思いにかられたときの状況に似る。

しばらくは無理かもしれない。この「なんか つまんないな~」を歌にしてみようか?

夏の夜が まだ来ぬうちに あきが来る 過ぎゆくものは 時ばかりなり

2011年5月24日 (火)

西武多摩湖線

あかねさす 国分寺行 萩山行 君が手を振る 本町信号所

そのまんま。赤電351系が走っていた頃の本町信号所で国分寺行と萩山行がすれちがう時に、元夫が私に手を振る。現夫に見られないかと心配。

2011年5月18日 (水)

IO

我がイオの 天照口 閉じにけり 素戔男之口 噴かずもあらなむ

「我が庵の」と打とうとしたら、誤変換してカタカナに。ということで、木星の衛星「イオ」になってしまった。「イオ」についてwikipediaで調べて見ると、なんと「アマテラス パテラ」「スサノオ パテラ」なる噴火口があるそうな。だから、それを歌に詠んだ。元歌は当然、前中納言匡房の「高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たたずもあらなむ」

2011年5月 8日 (日)

らむ

ラム・タムと ラムペルティーザと ラムパスと ラム酒で乾杯 おかしかるらむ

ミュージカル キャッツの登場人物(猫)である、ラム・タム・タガー(Rum Tum Tugger)、ランペルティーザ(Rumpleteazer)、ランパスキャット(Rumpus Cat)がラム酒(Rum)で乾杯したら、さぞ面白いことだろう。 という、ただただ「らむ」を使いたかっただけの作品。

2011年4月28日 (木)

春霞

春霞 霞ヶ浦に 出でて見れば 筑波の山に 降れる星屑

春霞漂う霞ヶ浦に船を浮かべて筑波山を仰ぎ見れば、放射性物質を含んだ雨が、今日も降り注いでいることだろうなぁ、という感慨を想像で詠んだ歌。あまり感慨深く無い。"降れる白雪"のままにしておこうかしら。

2011年4月26日 (火)

ツイッター

春の夜を 空しく過ごす ツイッター 口を開けば 毒ばかりなり

春の夜に、独りパソコンに向ひて読める。ツイッターを開いて見ても、親しい人からのメッセージもなく、フォローもなく、ただただ、著名人の独り言にルサンチマンを抱きつゝ、感じたまゝを綴れば、口を吐くは毒ばかりで、益々人心は離れていく。こうしてむなしい時間を過ごしていることに対する嘆きを詠ったもの。道因法師に通じるも、事態はさらにまずい。

2011年4月23日 (土)

赤毛のアン

アン・シャーリー キングスポートの公園にて 「松も昔の 友ならなくに」

「赤毛のアン」の続編の「アンの愛情」を読んでいたら、「あたし、どのくらい松が好きかしれないわ。ときどき、こっそりここへ来て松たちと仲よく話すと、ほっとすることよ。」「あたし、もしも、なにか大きな悲しみがふりかかってきたら、松の木になぐさめてもらいに来ようと思うわ。」というセリフがあり、思わず藤原興風の「たれをかも 知る人にせん 高砂の …」を思い出してしまった。

2011年4月20日 (水)

はる

来ぬ人を 待ちわびかねて たまらずに あへてリンクを はるの夜半かな

師から読後感想を求められたので、寝る時間を削って必死で読んで、一生懸命解釈して、感想を書いて、失礼のないように推敲して、手間隙かけて投稿したのに、一体いつになったら返事をくれるのだろうか? あゝ、誠意の無い我が師よ。当てつけにトラックバックを送ってやろう。この「トラックバックを送る」という作業は、相手のブログに強制的にリンクを貼ることに等しいので、「リンクをはる」と表現。この「はる」と、「春の夜半」の"春"を掛けて詠んだ歌。内容自体はどうでもよく、この「貼る」と「春」の地口がこの歌の骨子。まだまだ甘い。ベタすぎ。

メタなツッコミ

慕ふ人 敬ふ人を 思ひつゝ メタなツッコミ 今日もいぬめり

今日は、昨日見たばかりの古今和歌集より、「こぞとや言はむ 今年とや言はむ」というような韻を踏んだ表現が面白くて、マネしたくなりました。それで「慕ふ人 敬ふ人」としてみたのですが、語呂が悪く、いまいち決まりませんでした。
これは、マイブームなのですが、どこか1箇所盗作を入れるということをやっています。「今日もいぬめり」は、百人一首の「あはれ今年の秋もいぬめり」からの流用です。
歌の意味は、ネット上で慕っている人、尊敬している人に対して、メタ視線でツッコミを入れることくらいしかコミュニケーションができないのですが、それを嗤ってくれればよいものを、マジギレされた挙句に無視されてツイッターでもブロックされて、いつもこうなってしまうな~。こうしてまともにコミュニケーションもできないうちに今日という日も過ぎ去ってしまうのだなぁ。という感慨を詠ったものです。
メタな視線でツッコミを入れることしかできない人って、メタな視線でツッコミを入れられると癪にさわるらしい。今後これについては別途研究していくつもりです。

2011年4月18日 (月)

原発事故

春風に 舞う星屑を 思ひわびて 人の命の惜しくもあるかな

春風に舞う放射性物質を"星屑"と表現。「人の命の~」は、百人一首の右近の歌から流用

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