鉄道

2009年7月14日 (火)

都電2500形

2500形は、昭和33~34年に8両が製造された。(参考:wikipedia
木造2000形の車体更新。杉並線(狭軌)用。
側面のバス窓といい、やや垂れ下がった正面両サイド窓といい、当時のバスそっくりだ。このさえない表情は、好きになれない。
杉並線廃止後は、改軌され、荒川営業所、早稲田営業所と配属を替え、昭和43年に廃車。享年10~11歳。
木造2000形は情報が少なく、どんな車両なのかよくわからない。木造3000形の改造らしい。

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2009年7月13日 (月)

都電4000形

4000形は、昭和24年から昭和25年までの2年間に117両が製造された。(参考:wikipedia
主に旧木造4000系列の車体更新だが、一部旧王電120系をタネ車にしたものを含む。ボディは6000形と同形。
こちらは一足早く昭和42~43年、全車廃車。
タネ車の製造年は、大正13年~昭和4年 1924 1929 1967 1968
推定車齢は、ボディが17~19歳、足回りが 38~44歳
タネ車のボディ年齢は19~24歳

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都電3000形

3000形は、昭和24年から昭和28年までの5年間に242両が製造された。(参考:wikipedia
主に旧木造3000形の車体更新だが、一部木造4000形、旧王電の車両をタネ車にしたもの、改造名義で新造されたものを含む。ほぼ、6000形と同形だが、60cmほど短い。
昭和47年、全車廃車。(うち5両 長崎電気軌道へ譲渡 参考URL:長崎電軌800
タネ車の製造年は、大正12年~昭和4年
推定車齢は、ボディが19~23歳、足回りが 43~49歳
ここから逆算して、タネ車のボディ年齢は20~30歳
木造で、よくもったものだ。

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2009年7月11日 (土)

都電8000形

都電が荒川線1本を残して廃止される以前に走っていた車両を振り返る。
今回は、8000形。
8000形は、昭和31年から昭和32年までの2年間に131両が製造された。(参考:wikipedia
既に都電廃止構想が出ていたことから、耐用年数10年程度で、経済性を優先して作られた車両。車体が軽く、加速は良かったそうだが、乗り心地は悪かったという。確かに、内軸受のパイオニア台車は、如何にも乗り心地が悪そうだ。
この8000形と同じような面相の路面電車は各地に見られた。この方の表情、禿げ上がったオデコやちょっと苦笑い系の表情が、なんとなくオッサンを連想させる。
でも、シンプルで、好感の持てる表情だ。
昭和47年11月、濹東地区路線廃止に伴い全廃されている。(推定車齢:16~17歳)
もともと寿命10年の設計だから、よくもったほうだ。

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都電6000形

6000形は、昭和22年から昭和27年までの6年間に290両が製造された、戦後の標準型。(参考:wikipedia
昭和47年、濹東地区の路線が廃止になり、現荒川線のみが残った時点で、13両になっていた。(この時点の推定車齢:20~25歳)
昭和53年頃、荒川線ワンマン化に伴い、6152号を残して廃車。(推定車齢:28~30歳)
昭和52年頃、ワンマン化の直前は、主力の7000形,7500形が改造に入っていたので、6000形が運用に入ることが多く、よく乗りに行ったものだ。
残った6152号は、メンテされ続けて2000年頃まで活躍。2001年廃車。(推定車齢:52歳)

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2009年7月 4日 (土)

都電7000形

7000形は、5500形(PCCカー)の後を引き継いで量産されたニューモデル。
昭和29年から31年にかけて、93両製造された。
(参考:wikipedia
昭和29年というと、地下鉄丸ノ内線で300形がデビューした年。
ドア配置は、それまでの前後式から前中式に。
ドア下部までガラスの入ったドア。(都電随一)
正面の2枚窓等、斬新なデザイン。
(逆に7500形は、真ん中の広い3枚窓で、実用的だがデザインは無骨。)

作られたのは、たった3年間だが、さまざまなバリエーションが存在する。
私は、こういう高度成長期の作品が大好き。
7001~7019 : 直接制御車で、マスコンが大きく、正面2枚窓では運転がしづらかったせいか、その後3枚窓に改造されている。このタイプは2000形に似た顔立ちで、あまり個性的な感じがしない。昭和46~47 廃車。享年18歳。

7020 : 直角カルダン試験車。三田車庫配属で、おそらくPCCカーと同じく1系統専用。昭和42年 廃車。享年13歳。

7021~7030 : 1000形、1100形からの車体更新車。昭和42~43年 廃車。車体の享年13歳。タネ車は昭和7~11年製造の1000形、1100形だが、その1000形、1100形からして、明治43年製造の木造ボギー車(旧1000形)の車体更新車であるから、初代の車体享年は、
22~26歳、二代目の車体享年は、18~22歳 と推定する。もし、足回り電装品をずーっと使いまわしをしていたのだとすると、足回りの享年は57歳となる。(ホントかな~?)

7031~7050 : 昭和30年製造の2次車。間接制御となり、マスコンが小型化。その後10両は、函館市電へ譲渡。残る10両は、錦糸堀車庫にて昭和47年廃車。享年17歳。

7051~7093 : 昭和30~31年製造の3次車。この43両という中途半端な台数は如何に?
7051~7054は、錦糸堀車庫にて昭和47年廃車。享年17歳。7079,7080,7085,7088,7090~93は柳島車庫にて昭和47年廃車。享年16歳。
残る31両は、昭和52年 車体更新。車体年齢、21歳。(まずまず)
平成11年までに8両廃車(うち4両は、豊橋鉄道へ譲渡)
平成20年 1両 事故廃車。現存22両。
当面活躍は続く見通し。足回りは、現在53歳、車体は32歳。

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都電7500形

都電が荒川線一本を残して廃止される以前に製造された車両を振り返る。
荒川線一本になった以降も残っていた形式は、私が記憶している限りでは、
・7500形
・7000形
・6000形
の三形式
主力は7000形だったように記憶する。
今日は、7500形について(参考:wikipedia

昭和37年製造。7501 - 7520 計20両
全車 青山車庫 配属

昭和43年 7501 - 7510は、荒川車庫へ
       7511 - 7520は、柳島車庫へ

昭和47年 7517,7519 廃車。残りは荒川車庫へ (残数18両)

昭和53年 7509,7514 廃車。残りはワンマン改造 (残数16両)

昭和59年~ 車体更新、冷房化(7502,7504,7508 廃車) (残数13両)

平成20年 7506,7507 廃車 (残数11両)

平成23年までに全廃予定
だとすると、足回りは49歳、車体は27歳ということだ。
初代の車体は、22歳で更新だから、結構もった方だろう。

車体更新前に何度か乗ったはずだが、あまり印象に残っていない。

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2009年7月 1日 (水)

都電14系統

都電シリーズは、今日で最終回か?
今日は14系統を紹介する。昭和38年12月1日廃止。
参考URL:ぽこぺん都電館

地下鉄荻窪線(現 丸の内線)は、昭和36年2月以降、部分開通、延伸を繰り返し、昭和37年3月に全通。14系統が廃止されたのは、その1年以上後。
参考URL:東京地下鉄丸ノ内線(wikipedia)

荻窪(昭和31年以前は、駅の南側、それ以降は、駅の北側)、天沼、成宗、杉並区役所(南阿佐ヶ谷)、阿佐ヶ谷、馬橋二、馬橋一、杉並車庫前、蚕糸試験場、高円寺二、高円寺一、本町通六、本町通五、鍋屋横丁、本町通三、本町通二、成子坂下、柏木一、新宿駅前 終点。戦前は、ガードを超えて山手線の中まで入っていたらしい。 

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2009年6月30日 (火)

都電41系統、18系統

昭和41年5月29日に廃止された都電41系統、18系統を振り返る。
参考URL:ぽこぺん都電館

都営地下鉄6号線(三田線)開業が、昭和43年12月27日。地下鉄開業の2年以上前に廃止されてしまった。なぜだろう。

41系統:
志村橋から、長後町二、長後町一、志村坂下、志村坂上、小豆沢町、蓮沼町、清水町、大和町、板橋本町、仲宿、板橋区役所(この辺りから、道路北寄りを走る)、板橋五、板橋駅(この辺から再び道路中央へ)、滝ノ川五、西巣鴨、新庚申塚(32系統とクロス)、巣鴨四、巣鴨車庫で終点。

18系統:
上記 志村坂上~巣鴨車庫は、41系統と共通。
巣鴨車庫~神田橋は、先出の35系統と共通。

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2009年6月27日 (土)

都電40系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ最終回。40系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、銀座七~神明町車庫前。
全ての区間を他系統と共有。
銀座七~上野公園前は1系統と共通
上野公園前~神明町車庫前は20系統と共通
以上。

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2009年6月26日 (金)

都電37系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第8弾。37系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、三田~千駄木二。
殆どの区間を他系統と共有。
三田~神田橋は2系統と共通
日比谷公園~淡路町は25系統と共通
旅籠町(外神田三)~千駄木二は20系統と共通
専用区間は、淡路町~旅籠町(外神田三)のみ
この辺りは「ちょっと無駄かも」と思うほど線路が密集しており、廃止は止むを得ないかも。

今回廃止された専用区間のみ振り返る。
淡路町を左折北上、松住町(外神田二、13系統とクロス)、旅籠町(外神田三)で左折し、20系統に合流。以上。

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都電8系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第7弾。8系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、中目黒~築地。
殆どの区間が他系統と共有。
渋谷橋~赤羽橋は34系統と共通
赤羽橋~虎ノ門は3系統と共通
虎ノ門~築地は9系統(変更後)と共通
今回廃止された区間は、中目黒~渋谷橋

中目黒、下通五丁目、恵比寿駅前、渋谷橋で34系統と合流して、前記のとおり他系統をなぞって築地へ。
この8系統、34系統の渋谷駅前~天現時橋、中目黒~渋谷橋 の区間は、元玉川電気鉄道の天現時線、中目黒線として開通したもの。天現時線は、大正11年、中目黒線は昭和2年開通。(東急玉川線(wikipedia)大昔は、玉電本線と直通していたらしい。昭和13年より東京市電に運営委託、昭和23年に譲渡。

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2009年6月25日 (木)

都電6系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第6弾。6系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、渋谷駅前~新橋(~汐留)。
渋谷駅前~青山六は9,10系統と共通
溜池~虎ノ門は3系統と共通
6系統専用の区間が多い。
今回廃止されたのは、青山六~溜池(~)虎ノ門~新橋(~汐留)の区間

渋谷駅を出て、青山六(南青山五)で右折。電車が通るには、些か細過ぎる感のある通りを進む。南青山六、南青山七(高樹町)、西麻布(霞町、7系統とクロス)、材木町、六本木(33系統とクロス)、今井町、福吉町、溜池(3系統と合流)、虎ノ門(3系統と分離,8系統とクロス)、南佐久間町、田村町一(西新橋一、2系統とクロス)、国鉄の線路をくぐって、新橋(1系統とクロス、銀座方面への渡り線あり、但し直通系統なし)で終点。昭和36年以前は、その先、汐留まで延びていた。
さらに昔、昭和17年頃は、さらに直進して、木挽町七、9系統の三原橋まで延びていたらしい。
この区間は、明治37年頃、街鉄の路線として、三原橋~蓬莱橋(汐留の辺りか)が出来、明治44年頃、蓬莱橋~木挽町七附近が廃止、大正12年頃、新橋~汐留間延長、昭和4年頃、新橋~三原橋間が繋がったらしい。とは言うものの、詳細ルートは不明である。

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2009年6月24日 (水)

都電5系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第5弾。5系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、目黒駅前~永代橋。
今回廃止されたのは、目黒駅前~清正公前(~魚籃坂下、芝園橋~田村町一)、馬場先門~永代橋の区間
清正公前~芝園橋は4系統と共通
芝園橋~馬場先門は2系統と共通

目黒駅前には車庫がある。跡地にはなにもない(バスの車庫か)。上大崎、白金台町、日吉坂上、清正公前(4系統と合流)~芝園橋までは4系統と共通。芝園橋を左折して、2系統へ合流。馬場先門までは、2系統と共通。馬場先門で右折して5系統オリジナル区間へ。この区間は、大正9年頃開通。ほぼ平行して走る28系統は昭和47年まで残ったが、こちらの路線は真っ先に廃止されてしまった。都庁前(28,31系統へ接続、渡り線あり。但し直通系統なし)、鍛冶橋(17系統とクロス)、京橋(22系統とクロス)、桜橋(36系統とクロス)、八丁堀、越前堀、永代橋(28系統と合流)で終点。
越前堀は、昭和6年まで東湊町の名。昭和4年以前は、ここから(現在の新川二交差点過ぎた辺りから)少し左に折れて、当時の霊岸島塩町の辺りへ出る路線だったらしい。

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都電4系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第4弾。4系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、五反田駅前~銀座二。
そのうち、魚籃坂下~古川橋は7系統と共通、
古川橋~金杉橋は34系統と共通
金杉橋~銀座二は1系統と共通
今回廃止されたのは、五反田駅前~魚籃坂下(、金杉橋~銀座二)

五反田駅よりやゝ離れたところにターミナルの電停が。白金猿町、二本榎、清正公前(5系統と合流)、魚籃坂下(7系統と合流)、古川橋(7系統と分離、34系統と合流)、あとは34系統と同様に金杉橋まで。そこから1系統に乗り入れ、銀座二まで。

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2009年6月22日 (月)

都電3系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第3弾。3系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、品川駅前~飯田橋。
今回廃止されたのは、
1.品川駅前~札ノ辻(1系統と共通)
2.札ノ辻~板倉一
3.虎ノ門~四谷見附
4.市ヶ谷見附~飯田橋
の4区間
残りの区間は、他系統として残る。

品川駅前をスタートして、札ノ辻までは、1系統と同じ。札ノ辻交差点を左折(但し、昭和24年までは、レール接続が無かったようなので、この札ノ辻が起点だった模様)。三田二、慶応義塾前、赤羽橋(4,5,34系統とクロス,8系統と合流)、東麻布一、板倉一(33系統、再変更後の9系統と合流)、ここから虎ノ門までは、9系統として残った区間。ここを鋭角に左折して外堀通り、地下鉄銀座線の上を進む。溜池(虎ノ門~溜池間は、再変更前の9系統と共通)、山王下、赤坂見附(昭和38年に廃止された旧9系統とクロス)、ここからは、濠端の専用軌道や隧道など都電の中でも随一の風情のある区間。残っていれば、観光スポットになったと思うが、首都高に埋もれた現在、望むべくもない。現在の首都高4号線の下を濠沿いに、道路の端を進む(半ば専用軌道か)。紀之国坂の途中から、道路を降り、完全な専用軌道へ。紀之国坂交差点、現在の首都高4号線の赤坂トンネルの出口になっているところに、都電唯一の隧道がある。そこをくぐって、ゆるゆると坂を登り、若葉東公園の辺り、地下鉄丸ノ内線のトンネル出口の手前で再び路上へ出る。この辺りに若葉一電停、そして四谷見附(11系統とクロス、12系統と合流)。ここから市ヶ谷見附までの短い区間は、先出の12系統と共通。市ヶ谷見附で12系統は右折して橋を渡る。本系統は、そのまま真っ直ぐ外堀通りを進む。新見附、牛込見附(この新見附~牛込見附間も専用軌道か。航空写真(goo地図)では道路の端、濠端を進んでいるように見える)、そして、飯田橋五叉路で終点。
この3系統には、小型車の700形が使われていた。昭和40年頃、14系統で使われていた2000形が転入してきて700形に取って代わった。そのため、700形は3系統の廃止に先立ち昭和41年頃までに全車廃止となった。
参考URL:都電33・3系統都電

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2009年6月21日 (日)

都電2系統

昭和42年12月10日に廃止された都電を振り返るシリーズ第二弾。2系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
本系統の区間は、三田~曙町。今回廃止されたのは、三田~田村町一の区間。
廃止区間は、後述の37系統と共有する。数字が若いのだから、本来、こちらの系統の方が本系統と思われるが、運転本数は、朝夕各2台のみ。
三田を出て芝園橋(34系統とクロス、後述の5系統と合流)、芝公園、御成門(33系統とクロス)、西新橋三(田村町四)、西新橋一(田村町一、後述の6系統とクロス)。ここから以北は、35系統をなぞって曙町(東洋大学前)まで。

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2009年6月20日 (土)

都電1系統

昭和42年12月10日、都電にとっては悪夢の日。
この日廃止された系統は、1,2,3,4,5,6,8,37,40、実に9系統に及ぶ。華々しいシングルナンバーのメイン路線が、この日、ことごとく消えた。
今日は、1系統を振り返る。
参考URL:ぽこぺん都電館

品川駅前から泉岳寺までは、7系統と共通。というか、こっちが本線で、7系統が本線に乗り入れているという見方の方が正しいように思える。泉岳寺を出て、田町九、札ノ辻(3系統と分離)、三田(車庫がある。2系統と分離)、東京港口(芝浦工場からの路線と合流)、金杉橋(4系統と合流)、大門(かつては東京都交通局の建物への引込み線あり、昔の車庫か?昭和22年の航空写真、明治時代の地図参照)、浜松町一(33系統と接続)、新橋五、新橋(6系統とクロス、合流渡り線あり)、ここから室町三までは、22系統と一緒、言うまでもないが、こちらが本線で、22系統がこちらに乗り入れている形。室町三の手前、通三から万世橋までは19系統と共通。万世橋の手前、須田町からは24系統と共通。上野駅まで。
栄えある1系統であるが、既紹介済み部分が多いので、こういう形の紹介になってしまった。
結局、今回廃止されたのは、品川~通三丁目の区間。通三丁目以北は、1系統としては無くなったが、19,20,22,24系統として残っていた。

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2009年6月18日 (木)

都電35系統

昭和43年2月25日付に廃止された系統を振り返るシリーズ第2弾、35系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
巣鴨車庫前をスタート、巣鴨駅前、本駒込六、駕籠町(千石一、20系統とクロス)、本駒込二、白山五、東洋大学前、白山上(五叉路を僅かに右折南下)、白山下、白山一、西片一、小石川一、春日町(文京区役所前)。ここからは、17系統をなぞって神田橋まで。神田橋を右折。神田橋からは、25系統をなぞって日比谷公園まで。内幸町、西新橋一(田村町一)で終点(6系統とクロス)。

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都電11系統

昭和43年2月25日付に廃止された系統は、11系統と35系統。
今回は、11系統を振り返る。
参考URL:ぽこぺん都電館
新宿から四谷見附までは、12系統と共通。12系統は左折北上。本系統は、そのまま直進。麹町六、麹町四、麹町二、半蔵門で右折、10系統へ合流、三宅坂で10系統と分離、9系統と合流、あとは、昭和42年12月10日以降の9系統をなぞって、月島 or 新佃島まで。

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都電 昭和43年3月31日廃止路線

昭和43年3月31日付の廃止路線は、区間短縮のみ。

系統:運転短縮区間(廃止区間)
12系統:両国駅前~岩本町(両国駅前~東両国二)
13系統:水天宮前~岩本町(-)
17系統:春日町~数寄屋橋(同)
25系統:日比谷公園~須田町(日比谷公園~大手町)

参考URL:ぽこぺん都電館

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都電39系統

昭和43年9月29日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第4弾(最終回)。39系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
今回は、大変短い。
15系統の早稲田をスタートして、大曲まで。そして、白鳥橋を渡って、突き当りを左折北上し、伝通院前で16系統に合流。あとは、16系統と同様厩橋まで。
以上

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2009年6月15日 (月)

都電15系統

昭和43年9月29日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第3弾。15系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
この路線は比較的新しい。戦後に作られた路線。
高田馬場駅をスタート。しばらくは、単線。戸塚二と思われるところから複線。現在の地名と異なるので、戸塚二の正確な位置は、わからず。現在の馬場口交差点を左折。高戸橋を右折。32系統と合流。面影橋を経て早稲田へ。昭和24年までは、32系統とのレールの接続はなく、早稲田が終点であった。しばらく行くと、早稲田車庫が。関口一、鶴巻町を経て、江戸川橋で20系統とクロス。石切橋、東五軒町、大曲で39系統と分かれる。39系統は、左折して橋を渡る。本系統は、川沿いを行く。飯田橋五叉路。東西に貫くは13系統。南北に貫くは本系統。3系統は、13系統と繋がって、南西へ延びる。飯田橋一、九段下で12系統へ合流、小川町まで一緒。そこで右折し、25系統と合流、大手町まで。そこを左折し、丸ノ内一で南から28,31系統が合流。すぐ31系統のみ北へ分離。あとは、28系統をトレースして茅場町まで。

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2009年6月14日 (日)

都電10系統

昭和43年9月29日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第2弾。10系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
この路線は、あまりオリジナリティがない。まずは、昭和38年9月30日以前のオリジナル路線を振り返る。渋谷から三宅坂までは、9系統と一緒。そこから、北へ曲がり、半蔵門(11系統、新宿方面へ分離)、三番町、九段上。九段上からは、12系統をなぞって、須田町で終点。
昭和38年10月1日以降は、青山一丁目で左折、7系統をなぞって四谷三丁目まで、そこで右折し、あとは12系統をなぞって須田町まで。昭和38年の航空写真(goo地図)では、四谷見附方面への渡り線はないが、後に追加されたのだろう。
それにしても、なぜ青山1丁目から先が廃止されたのだろう?

追記)
写真館見っけ
URL: 路 面

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2009年6月12日 (金)

都電9系統

昭和43年9月29日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第1弾。9系統。
昭和43年9月29日付で廃止された都電路線は、全部で5つ。9,10,15,25,39系統。
このうち、25系統は、もう紹介したから、今回のシリーズで紹介するのは、4系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
渋谷は思い出の場所なので、ちょっと脱線して詳しく見てみよう。
goo地図の昭和22年,38年の航空写真を参照のこと。)
22年の航空写真では、地下鉄銀座線が3両編成である。駅もビルが無く、露天である。
その脇を玉電が走っている。井の頭線も3線である。
38年の航空写真では、地下鉄銀座線は5両編成になり、駅の上にはビルが建っている。
井の頭線は、2線に変更。
現在の航空写真では、銀座線の車庫上に建物が立ってしまっている。車庫はなくなってしまったのだろうか?井の頭線は、全く見えない。位置は、だいぶ後退したのか?もちろん、玉電は、とっくの昔に廃線されている。寂しい限り。
都電は、航空写真のとおり、大きくループしており、圧巻。
(この“圧巻”という言葉の使い方は、誤用だそうだが、気にしない。)
渋谷を出てすぐ青山車庫、この青山車庫の周りにはぐるぐると遊園地のアトラクションのように線路のようなものが這っている。なんであろうか。どうやらこれは、試運転用の線らしい。参考URL:nosukeの旅
この辺りは、駅間が短い。すぐに南青山五交差点、ここで6系統は右折、本系統は直進、「明治神宮」は、現在の「表参道」か。その昔、地下鉄銀座線の表参道駅も「神宮前」と読んでいたなぁ。北青山三、南青山二(外苑前)、北青山一で7系統とクロス、と思ったけど昭和43年現在、この区間にはレールが無かった...
昭和38年の航空写真では渡り線が無いけど、この後、六本木方面33系統へ合流する渡り線が作られたのだろう。しかし、レールが撤去されたのに、よく系統が残ったものだ。
ここから六本木まで33系統をなぞる。昭和42年12月9日以前は、ここで左折し、6系統と合流する。昭和38年の航空写真では、まだ渡り線が作られていない。昭和43時点では、6系統も廃止になっているので、このまま33系統を神谷町まで進む。2度の路線変更にもかかわらず、しぶとく残った。とはいえ、残った年月も1年足らず。嗚呼。
神谷町からは、先に廃止された8系統を桜田門まで進む。停留所は、巴町、虎ノ門で3系統が左折 溜池方面へ、6系統とクロス、先程、昭和42年12月9日以前の路線では、六本木を曲がって6系統へ迂回した路線がここで合流。但し、38年の航空写真には、まだ、渡り線が映っていない。霞ヶ関、桜田門、ここで、9系統本来の路線と合流。
気をとりなおして、青山一丁目から真っ直ぐ進むルートのトレースを再開する。赤坂表町、豊川稲荷、赤坂見附、赤坂見附では、ただ3系統と十字にクロスしているだけなのだが、随分複雑な形に見える。渡り線の存在は不明確。平河町二、三宅坂、ここで南北に分かれる。北は10系統、九段方面へ。南は、本系統。議事堂前(この辺りには廃線跡のようなものが見えるが気のせいか、それとも工事中なだけか)、桜田門(新ルートと合流)、日比谷公園(2系統とクロス。日比谷公園には、折り返し用の引込み線らしきものがある。25系統用であろうか)、数寄屋橋(17系統と接続)、銀座四(1系統とクロス、渡り線なし)、三原橋、築地。ちょっと休憩。
昭和22年の航空写真では、築地のちょっと先を左に折れ、築地の中央市場の方へいく路線が見えるが、これは何だろう?検索してみたけど、出てこなかった。
僥倖。いっぱい写真の載っているサイトを発見した。都電メニュー

閑話休題、あとは、36系統に乗り入れて、浜町中ノ橋まで。一部森下町まで延長運転。
しまった。それは、昭和42年12月9日以前のルートだった。新ルートは、築地を直進して、勝鬨橋を渡り、月島へ、さらに左折して新佃島まで行っていたのだ。
この勝鬨橋は、昭和22年開通ときく。20年余で使命を終えるなんて、なんとも勿体無い話だ。あの頃は、終戦2年後で、まだ混乱の最中だっただろうに、よくこんな技術の結集したものを作れたものだ。生きるエネルギーが有り余っていたのかもしれない。

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2009年6月11日 (木)

都電34系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第7弾。34系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
渋谷駅から、明治通りを南下。並木橋、東二、渋谷橋(中目黒方面から来る8系統と合流)、広尾一、天現時橋で7系統と合流、古川橋まで一緒。そこから直進して緩やかに左に曲がり北上、三ノ橋、二ノ橋、一ノ橋と。一ノ橋で右折、橋を渡る。麻布中ノ橋、赤羽橋(3系統とクロス、虎ノ門方面への渡り線有り)、芝園橋(2系統とクロス、御成門方面への渡り線有り)、そして、終点 金杉橋(1系統へ接続、銀座方面への渡り線)。この頃は、まだ、芝浦工場方面へ続く非営業路線が残っていた。
参考URL:都電 船路橋 芝浦工場

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都電33系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第6弾。33系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
四谷三から先出の7系統を北青山一まで進み左折、すぐ右折して南下。
赤坂八、竜土町、六本木(6系統とクロス)、三河台町、飯倉片町、飯倉一 ここで左折、南から来る3系統と合流。次の神谷町で右折、3系統と分離。御成門(2系統とクロス)、浜松町一で終点。1系統とぶつかっており、左右に渡り線あり。浜松町駅からはだいぶ遠い(600m以上)。

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都電おさらい

数が増えて覚えきれなくなってきたので、この辺でおさらいを。(一部記事にしていないものも含む)

旧王子電気軌道系:
 32系統:早稲田~王子駅前
 27系統:赤羽~三輪橋(のちに赤羽~王子駅前間 廃止)
 → 統合して、荒川線に

旧城東電気軌道系:
 26系統:東荒川~今井橋(S27廃止 トロリーバスへ)
 25系統:西荒川~錦糸堀(~須田町~日比谷公園)
 38系統:(錦糸堀~)水神森~東陽公園(~門前仲町~日本橋)

その他の錦糸掘車庫系:
 29系統:葛西橋~境川(~錦糸堀~須田町 or ~東陽公園~日本橋)
 28系統:錦糸町~東陽公園~日本橋~都庁前
 36系統:錦糸町~住吉二~茅場町~築地

柳島車庫系:
 23系統:福神橋~本所吾妻橋~門前仲町~月島
 24系統:福神橋~本所吾妻橋~浅草~上野~須田町
 30系統:東向島三~本所吾妻橋(~須田町 or ~月島)

南千住車庫系:
 22系統:南千住~浅草~(or 雷門~)浅草橋~室町三~日本橋(~新橋)

大塚車庫系:
 16系統:大塚~春日町~上野~錦糸町(or ~亀戸天神)
 17系統:池袋~春日町~神保町~日本橋(~数寄屋橋)

駒込車庫系:
 19系統:王子~駒込~本郷三~万世橋~室町三~通三

三輪車庫系:
 21系統:千住四~三輪橋~上野~岩本町~水天宮前
 31系統:三輪橋~蔵前一~浅草橋~丸ノ内一~都庁前

とりあえず、ここまで。続きはまたいつか。

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都電7系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第5弾。7系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
昭和44年10月26日は、廃止された路線が多い。
12系統四谷三丁目(goo地図)を起点とし、南へ延びる(昭和22年の航空写真では、12系統とは新宿方面へ向う渡り線(1本)で繋がっているように見えるが、昭和38年の航空写真では、この渡り線が不鮮明である。撤去されたのであろうか。)。左門町、信濃町。信濃町では、中央線を跨ぐが、車道を左に反れ、軌道専用の跨線橋で斜めに跨ぐ。そして、線路を渡るとすぐ車道と合流する。権田原、北青山一(9系統とクロス、渡り線なし)、ここで、33系統と分離。本系統は真っ直ぐ南下。南青山一、墓地下(この辺りから専用軌道)、西麻布(6系統とクロス、渡り線なし。なぜか、航空写真がとても不鮮明)、広尾橋(この辺から道路へ)、天現寺橋、この天現寺橋に広尾車庫がある。ここで、中目黒方面から来る8系統と合流、東向きに。昭和22年の航空写真だと、ゑびす長者丸の方へ延びる路線の痕跡が見られる。光林寺、四ノ橋(天現寺橋~四ノ橋間は、昔は古川沿いの専用軌道だったとのことだが、それらしい痕跡はみられない)、古川橋。ここで、8系統は直進、本系統は右折し橋を渡る。ここは、両方向に渡り線があり、三ノ橋方面から来る4系統と合流する。魚籃坂下、ここで、4系統は右折、本系統は直進。伊皿子、泉岳寺前でクランクして、1系統と合流。昭和42年12月10日以降は、ここで終点。それ以前は、高輪北町を経て品川駅前まで延びていた。ここで、レールがブツッと切れていて、少々不自然。大昔(大正時代)は、ここ(八ツ山附近)から、京浜電気鉄道(京浜急行)に乗り入れていたらしい。(軌間が合わないが、改軌したらしい。)

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2009年6月10日 (水)

都電17系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第4弾。17系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
先出の臨時20系統を池袋から大塚三まで。途中32系統とクロスするが、接続なし。護国寺前で20系統江戸川橋方面からと合流。大塚三で右折、16系統と合流、文京区役所まで。伝通院前で、39系統(S43.9.28廃止)と合流。S43.3.31以降は、文京区役所で終点。S43.3.30以前は、文京区役所を右折し、南下するルート有り。さらに、S43.2.24以前は、文京区役所から北上するルートあり(18,35系統)。文京区役所以降のルートは新出なので、全停留所を振り返ってみよう。後楽園(壱岐坂下)、水道橋(13系統とクロス)、三崎町、神保町(12系統とクロス、須田町方面への渡り線あり)、一ツ橋、一ツ橋を渡らず左折。goo地図-昭和38年 航空写真 だと、首都高 工事中の様子がよくわかる。錦町河岸、神田橋(15系統とクロス、大手町方面への渡り線あり)、鎌倉河岸、新常盤橋(31系統とクロス、室町三方面からの渡り線あり)、日本銀行前、呉服橋(28系統とクロス、渡り線なし)、この近辺は、すごい高密度で路線が走っている。八重洲口、鍛冶橋(5系統とクロス、渡り線なし)、有楽橋、数寄屋橋で終点。8系統にぶつかるが、レールの接続なし。昭和36年以前は、もう少しレールが延びていた様子。もしかするとレール接続があったかもしれないが、悲しいかな昭和22年の航空写真(goo地図) の解像度が悪く、判別できない。なんとgooには、明治時代の地図まである。ありがたいことだ。これを使って明治~昭和初期の路線を推定する。現在の首都高に沿って、山下町、八官町、土橋まで行っていたらしい。その後(昭和4年)、外堀通りに移設して、銀座西六、新橋駅北口まで行っていたらしい。(S19廃止)

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2009年6月 9日 (火)

都電31系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第3弾。31系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
三輪橋、三輪車庫ときて、21系統と分かれて、竜泉三、千束二、入谷二、この辺りでクランク(右折して左折)。合羽橋、菊屋橋(ここで、24系統とクロス。渡り線なし)、三筋二(16系統とクロス)、蔵前、ここで再びクランク、今度は左折して右折。22系統と合流。室町三まで。室町三で22系統は左折、本系統は直進。新常盤橋、丸ノ内一で28系統と合流。都庁前まで。

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2009年6月 8日 (月)

都電21系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第2弾。21系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
昭和43年2月25日付で廃止された起点の千住四丁目からスタートする。(goo地図
北千住駅からも微妙に離れており、不便そうだ。
次、北千住駅、と言っても、だいぶ遠いね。400mくらい離れてそう。この頃は道幅も狭く、窮屈そう。足立区役所、千住仲組、千住大橋、南千住六、三輪橋。この辺の区間は駅間が長い。三輪橋っていうけれど、橋はどこにあるのだろう。27系統とは線路は繋がっていない。この三輪橋までが、昭和43年2月25日付で廃止された区間だ。そして、三輪車庫。でっかい車庫だなぁ。ここから31系統と分かれる。31系統は、国際通りを真っ直ぐ南下。21系統は、昭和通り(とその一本北側の道)を南南西に進む。根岸五、下谷三、根岸四、この辺りは、線路が道路中央ではなく、片側(北側)に寄っているように見える。下谷二、この辺で再び昭和通りへ。北上野一、昭和4年以前は、もっと上野駅寄りを走っていた。今では、JR上野駅に飲み込まれてしまっている。上野駅前の様子は圧巻。(goo地図)24系統とクロスしたのち、少し距離を置いて並列に並ぶ。ヨーロッパの光景みたい。でも、渡り線はない模様(航空写真判定なので、詳細不明)。御徒町駅(16系統とクロス)、台東三、台東一、和泉町、秋葉原駅東口、ここで13系統と合流。あとは、13系統と同じく、水天宮前まで。

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都電30系統、臨時30系統

昭和44年10月26日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第1弾。30系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
地図検索をgoo地図に変えた。goo地図は、昭和38年の航空写真が掲載されているので、楽に探せる。
本所吾妻橋を左折し、北上、言問橋、向島二(電停位置は、向島二と三の中間)、向島五、東向島一(電停位置は、東向島二附近)、東向島三(電停位置は、3丁目38番地附近)で終点。
本所吾妻橋より手前は、先出の24系統と一緒。
臨時30系統の方は、本所吾妻橋より手前が23系統と一緒。

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2009年6月 7日 (日)

浜町線

書き留めておかないとたぶん忘れてしまうので、備忘的に書き留めておく。
両国停留所から、浜町河岸通りを真っ直ぐ南下。浜町河岸、道なりに右に曲がって、久松町、そして人形町で終点。
という路線があった。昭和17~19年頃に廃止になっている。詳細についてはわからない。

参考URL:ぽこぺん都電館

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2009年6月 6日 (土)

都電13系統

昭和45年3月27日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第2弾。13系統。
昭和45年3月27日付で廃止された都電路線は、12系統と13系統の2系統のみ。だから、今回で最終回。
参考URL:ぽこぺん都電館Old Map Room
参考文献:東京の電車道(高松吉太郎 著、プレス・アイゼンバーン 1977)

現在のマルイカレンとビッグカメラの間の一通は、旧13系統の専用軌道跡と思われる。単線だったのかしら。ここに旧角筈停留所がある。靖国通りと交わる附近が新角筈。そこから、現在遊歩道となっている旧専用軌道跡を通って、現新宿六丁目交差点へ。この辺りが新田裏停留所か。
昭和24年の移設以降は、新角筈から遊歩道の方へ曲がらず、四谷三光町まで12系統と共通。現在の新宿五丁目交差点で、左折して12系統と別れ、新宿六丁目交差点を右折して専用軌道へ。遊歩道の方は使われなくなったが、留置線として残っていたらしい。
専用軌道はまだまだ続く。現文化センター通りを通って、文化センターの辺りが大久保車庫か。そして抜弁天交差点にてようやく道路に出る。この辺りが東大久保停留所と思われる。あとは道に沿って、河田町、若松町、若松町から大久保通りに入り、牛込柳町、山伏町、牛込北町、神楽坂、筑土八幡、飯田橋。飯田橋からは外堀通りに入り、小石川橋、水道橋、順天堂病院お茶の水、外神田二で19系統と合流。しかし、次の停留所で19系統は右折、本13系統は、直進で再び分かれる。そして秋葉原駅西口、秋葉原駅東口、国道4号を右折して和泉橋、和泉橋渡って、Y字を左に入って、岩本町。昭和45年時点の終点。ここでひとつ疑問が発生する。先出の古地図(Old Map Room参照)によると、昭和31年地図には、秋葉原駅西口~国道4号の間はレールが無い。だから、この区間は、恐らく昭和31年以降に繋いだのだな。ということは、開通して10年少々で廃線されたということか。
昭和43年3月30日以前は、岩本町から先も延びていた。先出の25,29系統をクロスして、道路に沿って、岩本町二、小伝馬町(22系統とクロス)、堀留町、人形町、水天宮前で終点(水天宮前では、36系統とクロス。停留所はクロスした先にあったらしい)。この13系統による水天宮前までの運転は、43年3月30日で終了したが、路線自体は、昭和44年10月25日まで残り、21系統が走っていた。

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都電12系統

昭和45年3月27日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第1弾。12系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
先出の25,29系統、東両国二を北に折れ、150m程度進んだ所に両国駅前停留所がある。ここを起点に、25系統と同様小川町まで進む。ちなみにここの部分は大正12年に旧線が開通(詳細位置不明)、昭和4年に移設、戦時中に休止、戦後、昭和27年に復旧されたらしい。
小川町で曲がらずに、そのまま真っ直ぐ靖国通りを進む。駿河台下、神保町、専修大学前、九段下、九段上。この九段下~九段上間は、明治40年頃繋がったらしい。昭和5年までは、濠端の旧線であったらしい。航空写真(google or yahoo)で見ると、濠端の歩道がやたら広い。この部分を走っていたのか。専用軌道だったのか。それとも旧名鉄美濃町線のように道路の片側に寄って這っていたのか。九段上から左折して内堀通り沿いに行く10系統路線も昭和5年までは、千鳥ヶ淵にぴったり沿って走っていたらしい。ここも専用軌道だったのか、それとも歩道兼用だったのか。
『東京の電車道(高松吉太郎 著)』 によると、歩道よりさらに内側に緩勾配の専用軌道が設けられていたようである。

閑話休題。九段北三、一口坂、市ヶ谷駅へと進む。ここで道が終わっているので、右折して橋を渡り、市ヶ谷見附へ進む。この橋を渡る部分は、大正10年頃できたらしい。ちなみにこの橋の手前までが旧街鉄、橋の向こうは旧外濠線。
橋を渡って左折して、今度は外堀通りを本塩町、四谷見附と進む。
また脱線するが、先出の『東京の電車道(高松吉太郎 著)』 によると、四谷見附~赤坂見附間(3系統)は、専用軌道で、赤レンガのトンネルがあったという話だ。この辺りは、地形がとても複雑で、登坂能力の低い電車を走らせるのに不都合なので、一般の道路上に敷設できなかったのではないだろうか。実際、JR中央線もトンネルくぐらせているし、地下鉄丸ノ内線も地上に顔を出している(しかも、JR中央線の上へ)。高低差が無ければ敢えてこんなことする必要がない。この辺りの詳しい記述を見つけた。
町の記憶/赤坂御用地をめぐる坂と町

これによると、紀伊国坂下(元赤坂タワーズのある辺りか)辺りで濠寄りの専用軌道に入り、今の首都高4号線の赤坂トンネル口に入り、すぐ向こう側に抜けて、そのまま外堀通り沿いを登坂し、地下鉄丸ノ内線が顔を出す手前くらいで、外堀通りへ出る、というルートだったらしいことが推察される。昭和38年頃、この区間は移設、単線化されたそうな。恐らく東京オリンピックに備えて首都高を通すためだろう。どこにどうやって移設したのだろうか。

閑話休題。話題の12系統は、四谷見附で右に折れて、国道20号を西進する。四谷二、四谷三、四谷四、四谷四からは新宿通りを西進、新宿一、新宿二、昭和24年までは、そのまま真っ直ぐ進み、新宿三、新宿車庫前、角筈、新宿駅前終点。
参考URL:【古地図】――1:10,000地形図「新宿」
昭和24年以降は、現在の新宿二丁目の交差点を右折北上し、靖国通りを左折西進。四谷三光町、角筈、そして新宿駅前終点。歌舞伎町の辺り、西武新宿に近い。
何でこんな工事をしたかというと、駅前附近が狭くて混雑しており、また、今の伊勢丹の辺りに電車庫があり、出入りが激しく危険だったため、とのこと。(『東京の電車道(高松吉太郎 著)』)記述を見ると、新宿通り~靖国通りへ渡す道はなく、専用軌道であったようにも読み取れる。また、大正の地図では、この地域には建物が建っているので、おそらく再開発で除けたのだろう。(【古地図】――1:10,000地形図「新宿」

追記)古い航空写真を発見(古地図 - goo 地図)。これによると、両国駅前停留所は、総武線の下を越えて駅の北側、両国国技館の近くにあったらしい。('09.6.8)

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2009年6月 5日 (金)

都電19系統

昭和46年3月18日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第5弾、最終回。
今回は、19系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
前回やった臨時20系統と同じ通三丁目を起点とする。そこから万世橋までは、臨時20系統と共通。万世橋を左折し、外神田二へ。そこで、クランク(右折してすぐ左折)、神田明神、湯島二、本郷二、本郷三、東大赤門、東大正門、東大農学部、本郷追分、向丘一、向丘二、吉祥寺前、駒込富士前、上富士前、駒込橋、駒込駅、霜降橋、西ヶ原一、ここで左折。西ヶ原二、一里塚、飛鳥山、ここで32系統(現在の荒川線)に合流。でも昭和24年までは、線路は繋がってなかったらしい。そして、王子駅で終点。王子駅は、くるっとUターンしたところ。

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2009年6月 3日 (水)

都電20系統、臨時20系統

昭和46年3月18日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第4弾。
今回は、20系統、臨時20系統。
参考URL:ぽこぺん都電館
今回は都合上、臨時20系統からスタートする。
今、昭和42年12月9日以前の新橋駅にいる。先程の22系統に乗って、通三丁目で降りる。そして、しばし待つ。やがてレールは撤去され、通三丁目以南は廃止される。
臨時20系統は、この通三丁目を起点に北へ延びる。22系統をトレースして、室町三へ。そして右折せず、そのまま直進、今川橋、神田駅前、須田町へと続く。須田町からは、護国寺まで本20系統と同じ。上野公園までは、先出の24系統と同じ。そこから左に反れて専用軌道へ。動物園の辺りで止まって、一部動物園の敷地を横切り、既に建物で塞がれた場所を突っ切って、池ノ端二で通りへ出る。そこを右折して不忍通りを北上、根津一、根津二、千駄木二、団子坂下、千駄木三、道灌山下、動坂下、神明町車庫(現在の本駒込図書館か)。短縮後の臨時系統は、ここで終了。本系統と短縮前の臨時系統は、さらに先に進む。上富士前、千石一、千石二、千石三、大塚三で16系統とクロス、そして護国寺へ。本系統は、ここを左折。都道435に入り、音羽二、音羽一、江戸川橋で終点。
臨時系統の路線(池袋線)は、昭和44年10月26日付で廃止になっているが、この臨時22系統の他に17系統でも使用。護国寺からそのまま真っ直ぐ護国寺西交差点まで進み、道なりに右に曲がって池袋方面へ。大塚五、東池袋四、東池袋一で池袋駅前で終点。

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都電22系統、臨時22系統

昭和46年3月18日付で廃止された都電路線を振り返るシリーズ第3弾。
今回は、22系統。
参考URL:ぽこぺん都電館

南千住駅から、都道464上を南下する路線。泪橋、東浅草二、東浅草一、今戸、浅草七、隅田公園、ここで江戸通り(国道6)に入り、浅草で24系統とクロス、駒形二、厩橋で16系統とクロス、蔵前二、蔵前、浅草橋駅前、そして浅草橋で29系統とクロス、馬喰町、小伝馬町、本町三、室町三。
この界隈、浅草橋~室町三の附近は、明治42年に移設、複線化されたらしい。それ以前は馬車鉄道時代の名残で、単線一方通行の循環運転だったらしい。ちょっと、その経路を想像してみる。室町三から国道17を北上。次の交差点(現在の室町四)を右折。昭和通り(国道4)を右折、南下。次の交差点(本町三)を左折、そして江戸通りを浅草橋まで。靖国通りを右折してすぐ隣の清杉通りへ右折で入ってすぐの現在一方通行出口の南西へ延びている道へ右折で入る。つまり、ループの終点のようになっている。そこから、江戸通りのすぐ南側の通りを南進。横山町、大伝馬町、本町の辺りを通って室町へ。国道17に出たら右折して、先程の室町三へ。こんな感じだったのではないか。
昭和46年の22系統は、室町三を左折して国道17へ入り、室町一(現在の三越前)、日本橋で終点。
昭和42年12月9日以前は、日本橋よりもっと南に延びており、通三丁目(現在の八重洲口)、京橋、銀座二、銀座四、銀座七と進んで、新橋まで延びていた。
この辺の線路が敷かれたのは大変古く、明治15年、馬車鉄道だって。驚愕。
東京馬車鉄道 - Wikipedia

追記)この22系統には、駒形橋西詰のY字路を左に進み、雷門の真正面へ出る路線が、臨時系統としてあったらしい。昭和42年12月10日廃止。

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都電16系統

16系統は、錦糸町駅前(たぶん南口)から北上、太平四交差点を左折し、蔵前橋通り(都道315)に入る。太平町三、太平町一、石原三、石原二、石原一。石原一を右折、北上、23系統と合流、本所一へ。本所一を左折し、23系統と分離、厩橋方面へ。寿三、三筋二、元浅草三、元浅草一、東上野一、御徒町駅、上野広小路。上野広小路で24系統と交差。天神下、湯島四、本郷三、真砂坂上、文京区役所、富坂上、伝通院、春日二、小石川四、小日向四、教育大学、大塚二、大塚三、新大塚、大塚車庫、大塚駅で終点。大塚駅では、現荒川線の32系統と出会っただろう。厩橋を過ぎてからは、ただひたすら春日通を真っ直ぐすすむ路線である。昭和46年3月18日 廃止。

参考URL:ぽこぺん都電館

追記)goo地図-昭和38年 航空写真 によると、太平四交差点で右折せずに真っ直ぐ東進し、亀戸天神橋の方へ延びる路線が映っている。また、錦糸町駅は、北と南とで繋がっていない。('09.6.9)

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2009年6月 2日 (火)

都電36系統

36系統は、28系統と同じように錦糸町駅始発で南下し、住吉二で28系統と分かれて右折、西進する。都道50を西進、住吉町一、菊川二、菊川一、森下町、新大橋。新大橋を渡って、浜町二、浜町中ノ橋、水天宮前、蛎殻町。昭和23年までは、蛎殻町のY字路を右に行き、兜町の方へ行っていた。昭和23年以降は、蛎殻町のY字路を左に進み茅場町へ。茅場町交差点を右折、再び28系統と合流。そして、すぐ左折、先程の旧路線と合流し、平成通りを南下、西八丁堀二、桜橋、新富町、築地二、築地で終点。築地は昔は本願寺前と称したそうだから、おそらくその辺で終点。築地市場の辺りまでは伸びていなかったようだ。昭和46年3月18日 廃止。

参考URL:ぽこぺん都電館

追記)兜町の方へ行っていた路線を移設した訳は、兜橋が老朽化により電車通行できなくなったため。('09.6.6)(出典:『東京の電車道』)

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2009年6月 1日 (月)

都電26系統

26系統は、昭和27年5月20日、トロリーバスに置き換えられて廃止。
私のような若輩者の知る由もない。
参考URL:ぽこぺん都電館
小松川橋の東のたもとから、南東に真っ直ぐ延びる道路がある。この道路、幅が狭いけど、妙に真っ直ぐで、今井橋までほぼ直線に伸びている。おそらくここも専用軌道だったのではないか。昭和27年頃であれば、この辺りは田園風景だったのだろう。

追記)goo地図には、うれしいことに昭和22年の航空写真が載っている。しかし、悲しいことに解像度があまりよくない。終点の今井橋の位置を目を凝らして探してみるも、いまいち判明しない。(おそらくこの辺りか。)この頃は新中川(中川放水路)が無く、瑞江大橋も無い。軌道は、道路上ではなく、今井橋から一之江小の辺りまでは、道路に沿って平行して走っている。一之江小の辺りからは、道路からちょっと離れたところを平行して走る。しかし、今となっては、廃線跡に道すらない(ところどころ、ぽつぽつと小路が残っている程度)。小松川の附近になると、少しずつ道路と離れていく。東小松川2丁目35番地附近で、やっと廃線跡に道路ができる。そして、終点の東荒川電停は、荒川の土手際、この辺。現在の首都高7号の真下。荒川大橋のたもと。昭和38年の航空写真を見ると、この辺りにはなにもない。

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都電25系統

25系統は、比較的早く、昭和43年9月29日に廃止された。
参考URL:ぽこぺん都電館
29系統を水神森で右折せず、そのまま京葉道路(国道14)を東進、亀戸六、亀戸七、亀戸九、この亀戸九の現バス停附近に斜めに走る道がある。ここを右折して、浅間神社の前を通って小松川方面へ。それにしても随分細い道だ。とても電車がとおる道には見えない。専用軌道だったのだろうか。それとも単線だったのだろうか。小松川三、小松川四で、終点 西荒川。小松川橋のたもと附近で終わっていたと思うが、正確な位置は、わからない。

さて、約半年前の昭和43年3月30日までは、この25系統は、須田町の先、日比谷公園まで延びていた。たどってみる。須田町から西に、淡路町、小川町と来て、小川町で左折、南下。美土代町、神田橋、大手町、和田倉門、馬場先門、そして国一と交わったところで終点、日比谷公園。

追記)その後、西荒川電停の位置をgoo地図で確認したところ、現在の首都高7号線の真下、荒川大橋のたもと附近であることが判明した。

追記2)城東電気軌道時代の錦糸町終点は、道路からちょっと南に入ったところ。(goo地図参照

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都電38系統、臨時29系統

もう朝だが、勢いで濹東路線を最後まで書いてやろう。
参考URL:ぽこぺん都電館
38系統:
29系統の錦糸掘車庫からスタートして、境川まで。そこで左折せずに直進、南下を続けて、南砂町三へ。ここで右折して専用軌道へ。第四砂町小の辺りが『南砂町一』か。ここで専用軌道は西から南に向きを変える。そして、永代通りにぶつかる手前が『南砂町四』(現南砂二)、専用軌道はここで終了。永代通りへ右折で出て西進、東陽公園前で28系統と合流。そして、門前仲町で終点。

臨時29系統:
葛西橋からスタートして、境川で右折せずに左折。あとは、38系統、28系統をなぞって、日本橋まで。

追記)この辺りの写真が掲載されたURLを発見したので貼っておく。東京都電('09.6.8)

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都電29系統

前回(24系統)の終点 須田町に居る。せっかくなので、ここから29系統に乗り換えて葛西橋まで行ってみよう。
参考URL:ぽこぺん都電館

須田町から靖国通りをひたすら東進する。岩本町、東神田、浅草橋。なんかこの区間は間隔が長い気がする。ちなみにこの区間は昭和4年までは、一本北側の柳原通りを通っていたようだ。須田町ももっと西寄りの淡路町附近か。両国橋を渡って、両国、東両国二、東両国三と来て東両国緑町で23系統とクロス。緑町二、緑町三、江東橋と来て、錦糸堀車庫(現在の丸井)、錦糸掘で28系統とクロス。亀戸駅、水神森。水神森で右折...と思ったけど、道路が無い。もしかして、これって専用軌道?ちょっと、これ、嬉しいじゃない。竪川通、大島三、大島一で明治通りと合流。北砂三、北砂二、境川。境川で左折、清洲橋通りに入る。東進して、南砂町二(現南砂五)、北砂四、南砂町六(現北砂七)、東砂四、葛西橋で終点。町名が変わっていて紛らわしい。葛西橋というのは、旧葛西橋のことだな、きっと。
参考URL:葛西橋(wikipedia)

追記)「…両国橋を渡って、両国…」と書いたが、両国停留所は、橋を渡る手前らしい。('09.6.6)

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都電24系統

前回に引き続き、昭和47年11月11日まで残っていた濹東地区を走る都電の系統についてなぞる。
参考URL:ぽこぺん都電館
今回は24系統。福神橋~吾妻橋一までは、23系統と一緒。吾妻橋一からY字を右へ、そのまま浅草通り(都道453)を西進、吾妻橋を渡って浅草へ、そのまま雷門通りを通って雷門前を通過、雷門一交差点を左折南進、田原町で右折、浅草通りに戻る。そのまま西進し、菊屋橋、松ヶ谷一、下谷神社前を経て上野駅へ。この上野駅周辺は、停留所が多い。上野駅東口、南口、上野公園。そこから中央通り(都道437)を南下して、広小路、上野一、外神田五、外神田三、万世橋、そして終点 須田町。靖国通り(都道302)を西進してくる29系統とは、レールは繋がっていたのかしら?

追記)私が、初めて地下鉄銀座線に乗って喜んでいた頃、実は、その上を都電が走っていたなんて。40年近く経って初めて知った。

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都電23系統

隅田川の東、荒川の西。この隅田川と荒川に挟まれた地区を、古くは『濹東』と呼ぶ。
この『濹』は隅田川を指す造字らしい。(by wikipedia
昭和47年11月11日まで残った、この濹東地区を走っていた都電を振り返る。
参考URL:ぽこぺん都電館
前回の28系統に引き続き、今回は23系統。
起点は、『福神橋』。JR亀戸駅から明治通り(都道306)を北上し、北十間川を渡る橋が福神橋で、停留所はたぶん川の南側、浅草通り(都道453)にあったと推察する。最寄駅は、東武亀戸線小村井駅(とはいえ小村井駅とは600m近く離れている)。
さて、起点の『福神橋』から浅草通り上を西進、次の停留所は『柳島』、バス停名で残る。次、『十間橋』、横十間川を渡ってすぐ(十間橋は、北十間川を渡る橋だから、この横十間川を渡る橋は、何という橋だろう?)。押上、業平橋、本所吾妻橋と進んで、吾妻橋一のY字路を左に折れて、清澄通り(都道463)に入る。隅田川を渡らず、川に沿って南下する形となる。駒形橋、本所一、石原一、『墨田区役所』というのはどこだろう?大江戸線の両国駅辺りか(今の区役所は吾妻橋の方にあるから、移転したのだろう)。総武線のガード下をくぐって、東両国緑町、千歳町、森下町、高橋、清澄町、『江東区役所』がない(今は、東陽町の方に移転しているようだ)。清澄町(清澄三)と深川一との間に3つ(江東区役所、平野町、深川二)停留所があるのだが、距離が短い。そして、門前仲町で28系統と交差。さらに南下して、越中島、新佃島、月島通三を経て月島通八 終点へ。“月島通”という地名は現在使われていないみたい。大江戸線勝鬨駅辺りが『月島通八』か。昭和43年9月28日までは、勝鬨橋を渡って9系統が新佃島まで運転していたみたいだから、線路は繋がっていたのだろう。

追記)月島通八丁目附近と思われる写真を発見したので、リンクを貼っておく。
私の写真抄:月島・勝どき・豊海
2007年、まだこんな風景があったとは。

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2009年5月31日 (日)

都電28系統

昔、私が子供の頃、都電が廃止されるというので、記念に乗りに行った記憶がある。それが、この28系統。小さかったので“28系統”というところまで覚えていないが、乗った区間が日本橋~錦糸町なので、たぶん、間違いない。
参考URL:ぽこぺん都電館
錦糸町駅から、都道465(四ツ目通り)を南下、錦糸堀、毛利町、住吉二、猿江町、扇橋二、千田町、千石町、豊住橋。この『深川平井町』というのは江東区役所の辺りか。『東陽公園』は東陽公園の目の前だろう。ここで交差点を右折し、永代通り(都道10)を西進する。『洲崎』の位置がわからないが、東陽三丁目の辺りか。木場三、木場一、富岡町、不動尊は、門前仲町駅のすぐ近くだな。ということは、『門前仲町』停留所は、もうちょっと西か。永代二、佐賀一、永代橋を渡って、新川一、茅場町、そして日本橋で終点。茅場町~日本橋が長い気がするが。私が乗った区間はここまで。昭和44年10月25日以前は、そこから呉服橋、丸ノ内一まで延びていたらしい。さらに、昭和44年10月25日以前は、丸ノ内一丁目交差点を南に折れて、東京駅丸ノ内口北口、南口に停車、さらに旧都庁前(現在の東京国際フォーラム)まで行っていたらしい。正確な停留所の位置はわからない。

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2009年5月30日 (土)

都電27系統

昔走っていて、今廃止されている都電の軌跡を追う、という作業を試みる。
参考URL:ぽこぺん都電館
今日は、27系統から。
最後まで残った荒川線は、32系統と27系統からなる。27系統は、三ノ輪橋から赤羽までだが、このうち、王子駅前~赤羽の間が廃止された。
本当は、地図を表示させたいのだけど、地図画像データの2次利用について制限があるとまずいので、言葉による説明のみとする。地図は、googleよりyahooの方が見やすい。地図上にバス停が載っているので。
おそらく、現在地下鉄南北線が走っている上を走っていたものと考えられる。
国道122号線(北本通り)上を北上、現バス停名のとおり、王子二、王子三、王子四、王子五、北区神谷町と進んで、神谷陸橋辺りが神谷三、その後、バス停どおりに、志茂一、志茂二、岩淵町辺りが岩淵一、地下鉄赤羽岩淵駅付近が赤羽で終点。こんな感じだったのではないかと思われる。

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2008年7月16日 (水)

吊り掛け式の音

『吊り掛け式の音』と言って、何のことかわかる人は、鉄道マニアである。
“マニア”と表現すべきかどうか迷うが、少なくとも鉄道趣味の人の範疇ではあろう。
或いは、鉄道関係者の人か。
最近、めっきり、吊り掛け式も少なくなった。
いつものように、リンクを貼っておこう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吊り掛け駆動方式

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