都電2000形
2000形は、昭和26~30年に24両が製造された。(参考:wikipedia)
杉並線(狭軌)用なので、小世帯。
杉並線廃止後は、広尾営業所などに配置され、昭和44年まで活躍。享年14~18歳。比較的短命だ。
この2000形、基本設計は3000形と同じだけど、車体前後が絞ってあり細面。すっきりしたデザインで特に悪くないと思うのだが、私個人的にはなんか貧相で田舎臭く、好きになれなかった。
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2000形は、昭和26~30年に24両が製造された。(参考:wikipedia)
杉並線(狭軌)用なので、小世帯。
杉並線廃止後は、広尾営業所などに配置され、昭和44年まで活躍。享年14~18歳。比較的短命だ。
この2000形、基本設計は3000形と同じだけど、車体前後が絞ってあり細面。すっきりしたデザインで特に悪くないと思うのだが、私個人的にはなんか貧相で田舎臭く、好きになれなかった。
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2500形は、昭和33~34年に8両が製造された。(参考:wikipedia)
木造2000形の車体更新。杉並線(狭軌)用。
側面のバス窓といい、やや垂れ下がった正面両サイド窓といい、当時のバスそっくりだ。このさえない表情は、好きになれない。
杉並線廃止後は、改軌され、荒川営業所、早稲田営業所と配属を替え、昭和43年に廃車。享年10~11歳。
木造2000形は情報が少なく、どんな車両なのかよくわからない。木造3000形の改造らしい。
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4000形は、昭和24年から昭和25年までの2年間に117両が製造された。(参考:wikipedia)
主に旧木造4000系列の車体更新だが、一部旧王電120系をタネ車にしたものを含む。ボディは6000形と同形。
こちらは一足早く昭和42~43年、全車廃車。
タネ車の製造年は、大正13年~昭和4年 1924 1929 1967 1968
推定車齢は、ボディが17~19歳、足回りが 38~44歳
タネ車のボディ年齢は19~24歳
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都電が荒川線1本を残して廃止される以前に走っていた車両を振り返る。
今回は、8000形。
8000形は、昭和31年から昭和32年までの2年間に131両が製造された。(参考:wikipedia)
既に都電廃止構想が出ていたことから、耐用年数10年程度で、経済性を優先して作られた車両。車体が軽く、加速は良かったそうだが、乗り心地は悪かったという。確かに、内軸受のパイオニア台車は、如何にも乗り心地が悪そうだ。
この8000形と同じような面相の路面電車は各地に見られた。この方の表情、禿げ上がったオデコやちょっと苦笑い系の表情が、なんとなくオッサンを連想させる。
でも、シンプルで、好感の持てる表情だ。
昭和47年11月、濹東地区路線廃止に伴い全廃されている。(推定車齢:16~17歳)
もともと寿命10年の設計だから、よくもったほうだ。
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6000形は、昭和22年から昭和27年までの6年間に290両が製造された、戦後の標準型。(参考:wikipedia)
昭和47年、濹東地区の路線が廃止になり、現荒川線のみが残った時点で、13両になっていた。(この時点の推定車齢:20~25歳)
昭和53年頃、荒川線ワンマン化に伴い、6152号を残して廃車。(推定車齢:28~30歳)
昭和52年頃、ワンマン化の直前は、主力の7000形,7500形が改造に入っていたので、6000形が運用に入ることが多く、よく乗りに行ったものだ。
残った6152号は、メンテされ続けて2000年頃まで活躍。2001年廃車。(推定車齢:52歳)
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7000形は、5500形(PCCカー)の後を引き継いで量産されたニューモデル。
昭和29年から31年にかけて、93両製造された。
(参考:wikipedia)
昭和29年というと、地下鉄丸ノ内線で300形がデビューした年。
ドア配置は、それまでの前後式から前中式に。
ドア下部までガラスの入ったドア。(都電随一)
正面の2枚窓等、斬新なデザイン。
(逆に7500形は、真ん中の広い3枚窓で、実用的だがデザインは無骨。)
作られたのは、たった3年間だが、さまざまなバリエーションが存在する。
私は、こういう高度成長期の作品が大好き。
7001~7019 : 直接制御車で、マスコンが大きく、正面2枚窓では運転がしづらかったせいか、その後3枚窓に改造されている。このタイプは2000形に似た顔立ちで、あまり個性的な感じがしない。昭和46~47 廃車。享年18歳。
7020 : 直角カルダン試験車。三田車庫配属で、おそらくPCCカーと同じく1系統専用。昭和42年 廃車。享年13歳。
7021~7030 : 1000形、1100形からの車体更新車。昭和42~43年 廃車。車体の享年13歳。タネ車は昭和7~11年製造の1000形、1100形だが、その1000形、1100形からして、明治43年製造の木造ボギー車(旧1000形)の車体更新車であるから、初代の車体享年は、
22~26歳、二代目の車体享年は、18~22歳 と推定する。もし、足回り電装品をずーっと使いまわしをしていたのだとすると、足回りの享年は57歳となる。(ホントかな~?)
7031~7050 : 昭和30年製造の2次車。間接制御となり、マスコンが小型化。その後10両は、函館市電へ譲渡。残る10両は、錦糸堀車庫にて昭和47年廃車。享年17歳。
7051~7093 : 昭和30~31年製造の3次車。この43両という中途半端な台数は如何に?
7051~7054は、錦糸堀車庫にて昭和47年廃車。享年17歳。7079,7080,7085,7088,7090~93は柳島車庫にて昭和47年廃車。享年16歳。
残る31両は、昭和52年 車体更新。車体年齢、21歳。(まずまず)
平成11年までに8両廃車(うち4両は、豊橋鉄道へ譲渡)
平成20年 1両 事故廃車。現存22両。
当面活躍は続く見通し。足回りは、現在53歳、車体は32歳。
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都電が荒川線一本を残して廃止される以前に製造された車両を振り返る。
荒川線一本になった以降も残っていた形式は、私が記憶している限りでは、
・7500形
・7000形
・6000形
の三形式
主力は7000形だったように記憶する。
今日は、7500形について(参考:wikipedia)
昭和37年製造。7501 - 7520 計20両
全車 青山車庫 配属
昭和43年 7501 - 7510は、荒川車庫へ
7511 - 7520は、柳島車庫へ
昭和47年 7517,7519 廃車。残りは荒川車庫へ (残数18両)
昭和53年 7509,7514 廃車。残りはワンマン改造 (残数16両)
昭和59年~ 車体更新、冷房化(7502,7504,7508 廃車) (残数13両)
平成20年 7506,7507 廃車 (残数11両)
平成23年までに全廃予定
だとすると、足回りは49歳、車体は27歳ということだ。
初代の車体は、22歳で更新だから、結構もった方だろう。
車体更新前に何度か乗ったはずだが、あまり印象に残っていない。
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都電シリーズは、今日で最終回か?
今日は14系統を紹介する。昭和38年12月1日廃止。
参考URL:ぽこぺん都電館
地下鉄荻窪線(現 丸の内線)は、昭和36年2月以降、部分開通、延伸を繰り返し、昭和37年3月に全通。14系統が廃止されたのは、その1年以上後。
参考URL:東京地下鉄丸ノ内線(wikipedia)
荻窪(昭和31年以前は、駅の南側、それ以降は、駅の北側)、天沼、成宗、杉並区役所(南阿佐ヶ谷)、阿佐ヶ谷、馬橋二、馬橋一、杉並車庫前、蚕糸試験場、高円寺二、高円寺一、本町通六、本町通五、鍋屋横丁、本町通三、本町通二、成子坂下、柏木一、新宿駅前 終点。戦前は、ガードを超えて山手線の中まで入っていたらしい。
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