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2008年5月

2008年5月25日 (日)

マツダ・ファミリア #2

マツダ・ファミリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2代目は、1967年11月デビュー。いかにも『ファミリア』という感じの穏やかな表情が好きであった。1000ccと1200cc。後に1300ccの“ファミリア・プレスト”が加わる。
(ロータリーシリーズもあったが、私の興味の対象外のため省略する。)

3代目は、1973年9月デビュー。全幅が60mm拡大されるものの、サイドビューは先代と変わらず、あまりモデルチェンジという感じがしない。同時代のサニーやカローラと比べると如何にも古臭く、魅力が無い。でも、私はこの車が好きだった。

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マツダ・ファミリア

マツダ・ファミリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1963年10月、バンとしてデビュー。その1年後、セダンデビュー。800cc。
当時、三菱コルト800と並んで、800ccクラスのセダンとして、私が好きだった車種。
トヨタ・パブリカは、小さく、軽自動車的で、あまり好きではなかった。
これといって特徴があるわけではなかったが、何か好きだった。
たぶん、外形デザインが好きだったのだろう。

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2008年5月24日 (土)

三菱・コルト #2

先出のコルト800シリーズ(800,1000F,1100F,11F)は、1965.11~1969.10 のほぼ丸4年間作られた。一応これが三菱500~コルト600の直系後継に当たる。(車両の成立ちは全く異なるが。)

参考:三菱・コルト800(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

これに対して、コルト600の上位車種として企画されたのが、コルト1000シリーズである。
デビューは、1963.6月。1970まで生産された。

スタイルは、全く持って無骨な四角いセダンスタイルで、子供ながらに、あまりカッコイイクルマではないという印象であった。
1968年5月のマイナーチェンジで多少モダナイズされたが、好きではなかったなぁ。近くの知り合いがこのクルマにのっており、乗せてもらったこともある。その時はリヤに“COLT”の表示があったが、読めずに、なんという名前のクルマかわからなかった。

参考:三菱・コルト1000(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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ヒルマン・ミンクス

当時、いわゆる旧車(ヘッドライトが上にあって、グリルが口のように下にある、典型的な形をした車)のなかでは、よく見かける方であった。このクルマの特徴は、リヤドアの窓の形。三角窓がなく、ラップラウンドしたリヤウィンドウに沿って、逆傾斜した形をしていた。私の生家の近くにある大学の構内に廃車体がおいてあり、なかに入ってよく遊んだものである。このクルマがいすゞのクルマであるということは、後になって知った。

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三菱・コルト

『三菱・コルト』というと「コルト600」「コルト800」「コルト1000」「コルト・ギャラン」それにリバイバルネームの「新型コルト」があるが、私が言っているのは、もちろん旧型コルトのことである。
しかし、さすがの私も「コルト600」は、お目に掛かったことがない。1962~1965のわずか3年しか作られていない。

私が知っているコルトは、「コルト800」からである。実は、800も知っているかいないかおぼつかない。この「コルト800」は、2ストロークエンジンなのである。だけど、自分はこの車が2ストのエンジン音だったかどうか、定かに記憶していない。だから、私が知っているのは、「コルト1000F」以降のモデルかもしれない。
このクルマは、当時、あまり流行らなかったファストバックを使用しており、すごく目立っていてカッコよかった。特に好きだったのは、対向式で、重なり代が非常に大きいワイパー。今でこそめずらしくないけど、当時の対向式ワイパーは、重なり代が無いか、非常にすくないものが殆どだったので、異彩を放っていた。

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2008年5月23日 (金)

プリンス・ホーマー

プリンス・ホーマー
“クリッパー”とならんで、プリンスの代表的商用車のひとつ。
私が知っているホーマーは、“痰”もしくは“青っ洟”のような色をしたのが殆どだった。
これが標準色だったのだろう。
どうして、こんな色にしたのだろうか?でも、妙に似合っていた。ちなみにクリッパーは、濃紺であった。
独特の表情で、動物的。子供心に“恐い”クルマのひとつであった。
ワイパーの払拭角が、右の方が若干大きく、逆ハの字に開くのが特徴であった。
(↑事実は定かではない。私の眼には、そう映った。)

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2008年5月21日 (水)

プリンス・クリッパー

プリンス・クリッパー

特に、このクルマが好きだったわけではない。でもすごく印象に残っている。私が知っているバキュームカーは、殆どこのプリンス・クリッパーだった気がする。
ワイパーが対向式の逆(“対背式”とでもいうべきか)、
2本の腕を、体操のように上げ下ろしているような動きで、中央に拭き残しができる。
このタイプのワイパー配置は、このクルマと、アルピーヌルノーA310としか知らない。
(あと、もう1車種、中型バスにあった気がするが、定かではない。)

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2008年5月17日 (土)

キャロル #1

マツダ・キャロル(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

360cc時代の軽自動車の名車っていうと、なんだろう?
真っ先に思い浮かぶのは、“スバル360”
次は、ホンダの“N360”かな。
はたまた、ダイハツ“ミゼット”。(でもミゼットは、360ccではないけどね。)

名車と言われるほどではなかったけど、私が好きだったのは、
この“キャロル”1962~1970(初代)
水冷4気筒4サイクルアルミブロックという、
当時、空冷2気筒2サイクルが主流だった軽自動車の中では、
ハイスペックで、高級感があった。でも、ハイスペックの割には、
性能はたいしたことなかったので、「走るスバルに、見るキャロル」
なんて揶揄されたりもした。
実は、私の生家のクルマがこのキャロルであった。
マツダの軽は、殆ど好きであった。B360のバンを従兄弟が乗っていたが、
これがとても好きだった。K360のドカドカいうエンジン音も好きだった。
初代キャロルの後継、シャンテも好きだった。ポーターキャブも好きだった。

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2008年5月11日 (日)

クラウン #1

トヨタ・クラウン(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
幼い日の私にとって、クラウンは、全く興味のわかないクルマのひとつであった。
(トヨタ嫌いであったわけではない。
 トヨペットコロナは好きだったが、ダットサンブルーバードには、何の興味も示さなかった。
 子供なんて、そういうものである。)

だから、クラウンにまつわる思い出もない。
だから、書いてもしょうがないのであるが、一応書いてみる。
初代:S30系(1955年-1962年):全く、思い出がない。敢えていうなら、観音開きとリヤドアの固定窓が三角でなかったこと、だけ。
2代目:S40系(1962年-1967年):グロリアやセドリックと比べると品がなく、田舎のおっさん然とした佇まいがいやだった。このクルマの顔を見ると、なぜか頭の中にポールモーリアオーケストラの「ミセス・ロビンソン」が鳴り出す。
3代目:S50系(1967年-1971年):「白い~クラウ~ン」という山村 聰出演のコマーシャルを覚えているが、クルマ自体には全然興味を抱かなかった。
4代目:S60/70系(1971年-1974年):クラウンの歴史的汚点、超不人気モデル。でも、私は、この型のクラウンで、初めてクラウンに興味を持った。後期型よりも前期型の方が好き。近所の薬屋のおじさんが後期型に乗っていて、乗せてもらったことがある。前期型はタクシーでお世話になった。130セドリックのタクシーにも相当乗っているはずだが、殆ど覚えていない。一度だけ、A30型グロリアのタクシーに乗ったのを覚えている。
5代目:S80/90/100系(1974年-1979年):不人気に短命に終わった先代に比べて人気の高かったモデル。当時330グロリアファンの私にとっては、どうでもいいクルマのひとつであった。230以降のセド・グロは、兄弟車だから、セドリックでもグロリアでもどちらでも良いのであるが、その頃はまだ妙にブランドにこだわりがあり、グロリアが本命であった。プリンス好きは、やっぱりグロリアでしょう。このこだわりは、商用車にも及び、キャブオールよりはクリッパー、キャラバンよりはホーミー、といった具合であった。だけど、なぜかホーマーよりキャブスターであった。キャブスターの方がマイナーなイメージがある所為か。タイトルは、「クラウン #1」なのに、長々とプリンスに時間を使ってしまった。まぁ、クラウンは興味の対象ではなく、プリンス好きなのであるから、致し方あるまい。

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2008年5月 9日 (金)

セド・グロ 330

参考URL:
日産・セドリック(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
日産・グロリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
1975年6月デビュー。
実は、当時の私は、この330が一番好きだった。
(今は、130の後期型が一番好きである。)

この頃、ちょうどクルマへの興味が復活した時期である。
相変わらず、コラムシフトのセダンが好きであった。
4ドアハードトップは邪道だと思っていた。

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2008年5月 6日 (火)

セド・グロ 230

参考URL:
日産・セドリック(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
日産・グロリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
1971年2月発売。もう、この頃になると、セド・グロも、かなり身近な車になり始める。
私の伯父がグロリア230の4ドアハードトップに乗っていた。
この頃から、フロアシフトが流行り始める。
私は、コラムシフトのセダンが好きだったので、かなり不満。

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2008年5月 2日 (金)

セドリック #2

参考URL:
日産・セドリック(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
1965年10月2代目130型デビュー。
どことなく田舎くさかった初代にかわり、すらっとした洗練されたデザインに。
ピニンファリナのデザインだそうな。
私は、リヤドアの大きな三角窓と、ホイールアーチに沿わない、直線的見切りのリアドアが好きだった。顔立ちは、先代の特徴をわずかに残す。
1968年9月のマイナーチェンジで、直線的な顔立ちに。個性は弱まったが、私的にはこちらの顔つきの方が好みだった。これは、ライバルのクラウンに対抗したものらしい。(詳細不明。文面より類推。)このころから、セドリッククラスもオーナーカーの需要が増え始めたのであろう。

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セドリック #1

参考URL:
日産・セドリック(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

1960年4月初代30型デビュー。ドッシリとした偉そうなスタイルではあるが、どこと無く山高帽の田舎紳士然としていて、垢抜けない雰囲気。グロリアと比べると、品が無い。初期型のいわゆる「縦目」の面構だけみると、まるでピックアップトラックのよう。初代セドリック最大の特徴は、フロントのラップラウンドウィンドウであろう。この点がセドリックならではの高級感をかもし出している。
1962年10月のマイナーチェンジで、「横目」に。「縦目」は2年半しか作られなかったのか。
それにしては、よく見かけた。目立つからだろう。

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グロリア #2

参考URL:
日産・グロリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

3代目グロリアは、A30型で、デビューは、1967年である。
先に作られた皇室専用車「ロイヤル」とよく似たデザインである。
いわゆる「縦目グロリア」
当時、子供であった私の視点で見ると、2代目のような気骨がなく、
上品ではあるが、ちょっと、弱々しい印象があった。
4代目以降は、セドリックと兄弟車となり、グロリアがいわゆる“グロリア”であった時代は、2代で終わった。(1962.9~1971.2?)

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グロリア #1

ブログダイトルは“Citroen DS19”だが、話題は国産車からスタートする。
日産・グロリア(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
1959年、デビュー当時のグロリアは、スカイラインの高級版、派生車種に過ぎなかった。
皇太子殿下(当時)に納めるために開発したらしい。(詳細不明。文面より類推。)

グロリアが“グロリア”になったのは、次のモデル S40型 からである。
いわゆる“ハチマキグロリア”である。宮内庁に多数納入されて、各皇族達に愛用されていたらしい。
私も子供の時分には良く見たが、セドリックやクラウン、デボネアと比較して気品があり、近寄り難い印象があった。でも、エステートモデル等もあったから、超高級車というわけでもなく、クラウンやセドリックとほぼ同格であったのかもしれない。

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2008年5月 1日 (木)

ご挨拶

DS19と申します。
ここは、私にとって、7つ目のブログです。
主に、趣味のページにしようと思っています。

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